Hiraidesan Maniin Houzouzi
奥相志によると、延暦20年( 801年) 征夷大将軍 坂上田村麻呂が東夷征討の戦勝を祈願するた めに創建されました。創建から中興開山証雄までの460年間は年代が古く、殆ど記録が残っていません。 僅かに元徳( 940年頃) 、鏡雄(1180年頃)、証鏡(1200年頃) を確認するのみです。
創建は定かではなく、1647年義胤公の寺院改造により修理された記録が残っている。その後1753年、1806年、1959年と改築した記録がある。
本尊は運慶作と伝わる。しかし、長い年月の中で度重なる修復を繰返し、当初の銘文が削られ散見することができるのみである。
現在の本堂は、1947年に大門西側にあった「玄昌手植えの松」を用材として新築されたもので、本尊は不動明王である。
※玄昌:平出玄昌は江戸時代初期の名僧。「玄昌伝説記(江戸時代著)」によると、4歳から当山で育ち、晩年にも過ごし生涯を閉じたと記されている。
境内に預る当堂は、1184年創建。
1692年昌胤公により再建。
1863年焼失。
1865年再建。
本尊は能満虚空蔵菩薩。丑寅の方角を守ることから、該当干支の守本尊である。
1445年鋳造。
1580年郷胤公、盛胤公により改鋳。
1854年、黒船来航の際に海岸防備の大砲作成のために供出。
1977年再建